ご挨拶

1961年、水泳、ゴルフ、スキー、山岳等、スポーツ三昧に明け暮れた日本大学を卒業し、父の経営する東亜電気株式会社(東京都外神田)に入社した私は、当時の高度成長化文明の全国普及に伴い、茨城県を中心に北関東エリアに事業を展開して参りました。
その地で、私は中山利生先生と出会ったのです。
日本大学の先輩後輩としての交友から、彼の人格に惹かれ、行動に深い共感を得るまで、多くの時間は不要でした。
中山利生先生が、1969年第32回衆議院議員総選挙で当選以降9期、私は先生の政治活動、特に発展途上国への政府開発援助の適正円滑運用を中心に、対象国大統領や首相と数多くの折衝をお手伝いさせて頂きました。
また、途上国へ対する民間国際支援事業として、タイ王国工業団地開発事業(現ロジャナ工業団地)、フィリピンマニラ湾埋立開発事業(現ASEANAシティ)、ベトナム社会主義共和国バイオディーゼル開発事業他、様々な地域支援事業を立ち上げて参りました。
2010年、私はフィリピン共和国ミンダナオ先住民族ルマド族の若き王様であるSultan Julius Mabandosと知り合いました。彼はフィリピン先住民族の代表としての立場から、フィリピン政府との間で、先住民族の権利の確立と生活の向上を非暴力で成得る交渉に全力を注いでいました。
やがて私は彼より、私の一族には日本人の血を引く者も多い。我々マバンドス一族は古くから日本人と親交が深いんですよ。といった話を聞く機会がありました。詳しく尋ねてみると、ブツアン郊外にあった日本軍拠点においてリーダー的存在であった佐藤さんという旧日本兵と、ジュリウス王の父親の姉が結婚し、マバンドスの一族と共に彼らの支配地で様々な生産をあげる努力をしていたとのことでした。また、その様な親日的立場が、時の政権から彼らに対して行われた迫害的対応の一因ではなかろうか。この様に考えさせられたのです。
私の叔父、石井正雄少尉は学徒動員で徴兵され、昭和20年5月11日、神風特別攻撃隊菊水雷桜隊のパイロットとして沖縄戦に散りました。優しかった叔父を思い、戦争について考える時、今の豊かな日本の立場から先の戦争に対する何かしらの貢献が出来ないものか。この様に考え続けてきた私にとって、同じアジアの仲間であり、歴史的繋がりが深いミンダナオ島ルマド族の困窮を救う事業の着手には、自分にとっての使命を果たすべき大きなチャンスでは無いかと感じられたのです。
然しながら、私一人の力では及ばざることも多く、ご共感いただける皆様のご理解とご協力を賜れる機会を願い、ご挨拶に代えさせて頂きます。
敬具
株式会社ジェイビット 会長 石井光雄
経歴
1961 日本大学卒業
1961 東亜電気株式会社 入社
1979 東亜電気株式会社 代表取締役社長
1980 トーアエンジニアリング株式会社 代表取締役
1985 中山利生アジア政治研究会 事務局長(現職)
1988 株式会社トーアコーポレーション 代表取締役社長(現職)
1988 R-1コンソーシアム 会長
1997 株式会社ジェイビット 代表取締役社長
中山利生先生一家と休日のひととき 2018 ジェイビット・ホールディングス Inc. 代表取締役会長(現職)
2019 株式会社ジェイビット 会長(現職)
フィリピン共和国ラモス元大統領との会合

